風とロック芋煮会2018を終えて
2018年9月14日
風とロッカーズ集会所・管理人
ツクダ・ホッピー
2日間、雨の中、具のみなさまおつかれさまでした。
風邪などひかれてませんか?
特にお子様や人生の大先輩な具のみなさまが体調崩されてないか気になる、ここ数日です。
例年、芋煮会が終わるとツィッターでは芋ロスなる現象が蔓延していましたが、今年はそこに「マナー」というワードも数多く見受けられました。
少し長くなりそうですが思うところを書いてみたいと思います。
自分がファンサイトを立ち上げたのは、2014年開成山芋煮会の前に箭内さんから「芋煮会のマナーアップ、なんか考えてよ」と振られたことにあります。
その際、公開放送で一緒にいた怒髪天・増子兄ぃも「マナーって難しいよな、あれダメこれダメって言うだけじゃ伝わらんし」と。
マナー。
辞書でひいてみたところ「行儀・作法」とあります。
そもそもが英語のmannerなので、広義の意味では「流儀・風習」なども含まれるようです。
今年、マナーが悪くなったとツィッターで指摘された具体的な点としては、
・ステージや野球を撮影している人がいた
・禁止エリアでイスやテーブルの使用、ペグ打ち込みをしている人がいた
・会場内で禁止されている傘を使用している人がいた
・酒に酔ってのケンカ騒ぎがあった、などでしょうか。
たとえば、お酒を例にしてみると
お酒は20歳になってから。
飲んだから乗るな、飲むなら乗るな。
これは「ルール」
お酒は楽しくほどほどに。飲み過ぎにはご注意を。
これは「マナー」
(上記ルールを守る意志をマナーとも)
酒に酔って他人に手を出す
これはルールやマナーどころか、事と次第で「事件、犯罪」です。
イモニーどころか飲兵衛学園からも即、退学。酒飲みの資格はありません。
その場にいなかったので、何が原因かわかりませんが、どんな理由であれ。
会場内に貼られていた「イモニー学園校則」は、「ルール」です。
あれ、最後までキチンと読んだ人、どれくらいいらっしゃいます?
風景のひとつや会場演出としてボンヤリ視界の端っこで記憶している方が多そうですが、あの校則は芋煮会「最低限のルール」です。
来年からひとりひとり、校則読み上げてから入場しますか ← 最後尾は夜入場だw
そしてこの点、非公式として自分も大きく反省すべき点です。
日常の忙しさにかまけ、また今年は公式さんがかなり細やかに情報発信されていたので(いや、過去の公式さんが細やかじゃなかったという意味でなくw)、白河開催3年目という慣れもあって、みんな芋煮会のことをわかっているだろうと、マナーに関しても注意喚起を怠ってしまった点は、大変申し訳ありませんでした。
非公式が呼びかけたところで大きな影響はなかったかもしれませんが、この点、努力が足りなかった点は否めません。
ご迷惑をおかけした白河のみなさま、芋煮会で不快な思いをされてしまったみなさまには心よりお詫び申し上げます。
本当に申し訳ありませんでした。
慣れ、という点ではもうひとつ。
”福島で”でなく、”福島の” 風とロック芋煮会であるという他フェスとは一線を画す、芋煮会ならではの意義を発信することを怠ってしまったことも反省です。
2011年東日本大震災で傷ついてしまったふくしまを元気づけようと様々なアーティストが集った風とロックSUPER野馬追。
自分は福島県人でもなく家族や親戚もいない全くの他人かつ「ぼっち」で来ましたから、当時ふくしまのみなさんが楽しもうとするイベントにお邪魔してもいいのかな?と少しオドオドしつつ会場にいたことを覚えています。
すると東京から来ましたと告げると、出店の人やホテルの支配人にお土産コーナーのおねいさん、帰りに立ち寄った喜多方のラーメン屋のおばちゃんまで溢れる笑顔で自分を大歓迎してくれて。
来てくれて、ありがとう。と
ふくしまで会う人会う人、みなさんから歓迎のオーラと笑顔とふぐすま弁(!)がこぼれまくってて、一発でふくしま大好き!となり、今に至ります。
”福島で”でなく、”福島の” 風とロック芋煮会
特定のアーティストのライブを観るというよりは、そこで起こることすべて、そこで出会う人すべて、そこに流れる時間を楽しむ村祭り。
人生を豊かにする付加価値を得られるフェス、TOSHI-LOWさんらしい言い方ですが。
それは、ふくしまのみなさんにとって。ふくしまを思うぼくたちにとって。
ふくしまの一年の中で、いちばん楽しい日に。
そんな、芋煮会の今までの経緯や成り立ち、大切にしたい思いの発信を今年は怠ってしまったなぁという点も大きく反省しなければならないと痛感しています。
お目当てのアーティストが出るから、たまたま芋煮会のチケットをゲットした人へ、言われなくとも理解しろと言うほうが酷ですよね。
もう芋煮会のことは理解されてるだろうという「慣れ」に反省しきりです。
今年、会場の風景を眺めながら知り合いと
「なんか、フツーのフェスになったね」と。
人が多くなって、少しマナーを知らない人も増えて、以前のアットホームでゆるゆるとした芋煮会では表面上ない面も、という点では少し寂しさもあるかもしれません。
でも、いつまでも固定の人たちしか集まらない、閉ざされた芋煮会でいいのでしょうか?
当時は、芋煮会くらいしかありませんでしたが、今やふくしまの音楽事情はどうでしょう。
騎馬武者、うづぐしま、オハラブレイクに、スポット開催で満月の夕べなど。
ふくしま、うらやましすぎるぞ!ってほど充実しまくってるように見えます。
芋煮会のことを理解できない人は来ないでほしい、と思いが強い反面、エキセントリックな反応も見られますが
当時は、来てくれただけでありがとう。でも、もう来る人を選びます、で本当にいいのでしょうか。
規模の大きさや人数の多さで表面上変化はあっても、芋煮会らしさは変わらない。
それこそが理想的な芋煮会のマナー「芋煮会の流儀、風習」となるのではないかと私個人は思うのですが、いかがでしょうか。
おそらく、当時来る人を選ばれていたら、今のぼくはいません。
お目当てのアーティストだけを追いかけて、そのステージが終われば帰ってしまう、そんな人もいるかもしれません、が。
中には芋煮会の楽しさに気づいてひとり、またひとりと顔の見える仲間が増えていく、そんな大きな鍋としての芋煮会。
芋煮会をきっかけに、ふくしまの他のイベントやふくしま自体を好きになってくれる人が増えるかもしれないという、間口の広さと懐の深さ。
当時の自分を、ふくしまのみなさんが受け入れてくれたように。
今年、芋煮会のステージ上で(あ、お客さんの上かw)TOSHI-LOWさんから
みんなに教えてやってくれ。
7年経てばこんなに笑顔になれるって
7年経ったらこんなに仲間が出来るって、と
芋煮会前日の北海道胆振東部地震、台風21号、大阪北部地震、平成30年7月西日本豪雨など もう、ふくしまは受け取るだけじゃなくて、受け渡す番になったのではないか、と。
君がつらい時は今度は 僕が助けに行くよ
まさにTwo Shotの歌詞のように
芋煮会の収益の一部は被災各地の支援として使われるそうですし、幡ヶ谷再生大学ブースをはじめ、会場あちこちに設けられた募金箱は、ふくしまの芋煮会から各地へパワーを繋げる「どこでもドア」。
調子こいてあちこちに募金してたらお金なくなっても、すぐセブンのATMで下ろせるというナイスな立地w
曲は演奏されませんでしたが、芋煮会の存在自体がTwoShotの歌詞そのものになった今年じゃないかなぁと、私勝手に思ってます。
ステージや野球を撮影する人がいた、という点は私も会場で目にしました。
数列前でステージをスマホで撮影してる人がいて、注意しようかなと歩き出した瞬間にもう横から他の人の手が伸びて注意されてたのが3回(動き出し遅すぎw)
野球入場列に割り込んで来た人を、自分と他の人とで注意しました。
傘の使用はもちろんお客さんもあるのですが、割と出店スタッフの方が休憩中の移動で使われるケースも多いようで、この点は如何ともしがたい部分も。
人が増えればマナーを知らない人も混ざってくるのは事実です。
他のイベントはどうあれ、芋煮会ではお客さん同士で注意しあうという流儀。
いいわいいわで見過ごされることなく、最低限のルールを守ろうとする全体の意志。
もちろん注意されることなく、誰一人としてルールを守らない人がいないのは理想です。
ただ、知らずにルールを守ってない人に声をかけ教えてあげることを続けること。
それが芋煮会のマナー・流儀となっていくのではないかと思いますし、個人的には十分に浸透しつつあるのでは、と思うのですがいかがでしょうか。
お怪我をされてしまった方がいらっしゃった点は非常に残念ですし、心よりお見舞い申し上げます。お早くよくなりますよう祈るばかりです。
(知り合いもダイバーに顔面キック喰らって顔が赤く腫れてました)
新白河駅の多機能トイレの手洗い場が、おそらく具の方の靴の泥落としで詰まったまま放置されていたことも大変に心が痛みます。
JR新白河駅のみなさま、ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした。
と、反省すべき点は数多くありますが、
慣れと変化も懐深く飲み込みながら、ふくしまの一年でいちばん楽しい日に。
みんなで成し遂げましょ。
できてないことを責めるんじゃなく。
という箭内さんの言葉を胸に、来年へ。
できていることは大切に。
来年は原点回帰の村祭り。
みなさん笑顔で集えることを願って。
最後になりましたが、今年もルールとマナーを守っていただいた具のみなさま
本当にありがとうございました。
心より感謝いたします。
注)意見には個人差がありますw